中之条簡易裁判所 昭和42年(ろ)4号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判決理由】本件事故発生現場は、吾妻郡長野原町大字応桑の舗装された東西に走る幅員約七米の国道に、北方三原方面よりこの国道に直角に交叉する幅員約三米半の舗装されない町道と丁字路をなす附近の右国道上であり、被告人は右国道を四輪貨物自動車(車長四・六九米、車巾一・六九米)を運転して西進し、同所で進行方向を反対に東方へ転換するために、右丁字路で一旦自車を右町道に乗り入れて、国道へ後退(いわゆるバック)を開始したのであるが、国道上の左右の見通し可能の地点で更に停止し、(同丁字路交叉点の両角は建造物その他の遮蔽物が道路に近接していないので、この地点では被告人の貨物自動車後部は国道上に大きく進出せず略丁字路の接線にあつた)後退進路の左右の安全を確認すべく、運転座席より自車後方及び右国道の東西を注視し、附近に人車もなく又国道上を同所に向つて進行し来る車輛が全くないことを確認した後、運転台より上体を右車外に乗り出して後方を注視しながら時速約四粁ないし五粁をもつて後進し、国道を西南方に斜に横断し自車が完全に国道上に進出した地点で停止して、(その位置は被告人貨物自動車後部右側先端は国道南側端より約二米であつて人又は単車がようやく通過し得る程度の余地である)上体を前方に戻しギヤーを後進より前進に切り替え終り、正に発進しようとした時に、右貨物自動車の後部右角附近に、同国道を西方より毎時四〇粁を越える速度をもつて東進し来たつた本件被害者入沢勝彦運転の原動機付自転車が接触し、同車はその衝激により安定を失い同地地点より約十八米道路上を前方に滑走し、道路右外の凹地に同人もろ共横転停止し、よつて同人が前記傷害を受けたものである。
ところで右入沢の進行し来たつた国道は右接触地点より西方へ約三〇米附近で南方へ略直角に屈曲し、その曲角より南寄附近の東側路傍には十数本の立木が生育して居り、被告人が後進を開始するにつき後方左右の安全を確認した地点においては、そこより道路上西方約五〇米より先は右立木に妨げられて見透しは不可能である。
被告人が後方左右の安全を確認して後退を開始した地点と後退を終了した地点(即ち本件接触地点)との距離は約八・七米であるので、時速四・五粁で(秒速一・二五米)その間を進行すれば、その所要時間は七秒弱となるわけであるが(時速五粁とすれば六秒強である)発進と停止とに近接する時点附近は速度が漸増滅される理であるし、本件接触は前記の如く被告人が後退を終了し、上体を前方に振り替え、ギヤーを後進より前進に切り替えた直後であるからこの動作には少くとも一秒ないし二秒を要すること等を考え合せるならば、本件事故発生時点は、被告人が後方左右の安全を確認し後退を開始した時点より約八秒ないし九秒後であつたものと推定されるのである。右入沢の原動機付自転車の速度が毎時四十粁(秒速約十一米)であつたとすれば、(被告人が後進を開始した時点においては、右入沢の原動機付自転車は接触地点より手前八十八米ないし九十九米の地点を進行していたこととなる。この故に被告人が町道より国道に進出すべく後退を開始するに際して後方左右の安全を確認した時点では、)前記路傍の立木のために右入沢の原動機付自転車の進行し来るのを発見することは不可能であつたと認められる。従つて被告人が後退を開始するについては安全確認義務を怠つたということはできない。
右入沢の進行した前記曲角附近は稍々降り坂であり前記の如く見透も悪いために、その曲角地点にはいわゆるカーブミラーが設置してあつて入沢が適度の速度の保ち且つ注意を怠らなければ、被告人の後退進出した丁字路附近国道を進行する車輛はいうに及ばず、被告人の進出する状況も右カーブミラーにより曲角手前において容易に発見し得る状態である。然るに入沢は当時先を急いでいたため、漫然カーブミラーを見たのみで、右丁字路方向の国道の見透し可能な地点に達しても直眼による前方進路の注視を怠り、接触地点より二九数米手前に到達してはじめて、既に被告人の貨物自動車が前方自車の進路の道路の中央部分にまで進出しており、しかもなお後退しつつあるのを発見したのであるが、入沢は直ちに急停止の措置により衝突回避も可能であつたのにかかわらず、停車する措置に出ず、又警笛等により被告人の注意を喚起した上、減速措置をとつて被告人の貨物自動車の動行を見定めて自車を運行しもつて接触を回避すべきであつたのに、かかる措置に出ることなく、後進しつつある被告人の貨物自動車の後方をあえて迂廻しようと考え、殆んど減速することなく毎時四十粁を越える速度をもつて進行を続けたのみならず、(当時現場附近には人車なくその往来もなかつたこと、舗装道路でしかも前記曲角附近から百米以上南方より緩い降り勾配となつていること、入沢は職業の関係で同国道を殆んど連日自動車で通つておりいわば通い慣れた道路であること、同人が被告人の貨物自動車に接触してより前方へ約十八米先まで失走し車諸とも横転しはじめて停止したこと等の事情を総合すると、入沢は当時時速四十粁位で進行したと自称するも実際はそれより相当上廻つた速度であつたと推測されるのである。)入沢は目測を誤り衝突回避のために必要なハンドル操作をなさず漫然進行したために、被告人の貨物自動車が後退を終つて停止した直後に自車を進行接触させるに至つたものである。
以上認定の通りであるが、検察官は被害者入沢の如く直進する車輛の運転者は「自己の進路に後退する車輛があるとき、同車において直進車(被害者)に注意してくれるものと期待し進行することは吾人の日常経験することである」のであるから、被害者入沢の過失もさることながら被告人も亦後方不確認の過失の責を免れることはできないと主張するのである。自動車を後退進行する者は、その後退開始時と後退開始間もなく、道路の状況よりして直進車が未だ充分後退車の背後を直進通過し得る状況にある場合においては、右検察官の所論も一般的には該当し得るであろう。
本件においては、前説示の通り、本件接触時点においては、被告人の貨物自動車は幅員七米の国道の殆んど道路いつぱいに後退を終了し道路右側よりは僅か二米の余地を有するのみであり、前認定の如く被告人の後退速度は時速四粁ないし五粁であり、しかも後退を終了し被告人がギヤーを後進より前進に切り替え終つた時点において接触したのであるから、被告人の貨物自動車が完全に停止した時点は接触時点の一秒ないし二秒前であり、停止位置(接触地点)より一米以前の時点は二秒前であり同じく二米前での時点は三秒ないし四秒前と推定される。被告人の後退開始より終了までの進行距離は約八・七米であるので、少くとも接触時点の三秒ないし四秒以前においては右の逆算に従えば被告人の貨物自動車は既に六米ないし七米後退進行し道路の大部分に進入しており、後方よりの直進車は単車を除いては小型車さえも、道路右側に出て被告人の貨物自動車を迂廻して通過することは不可能な状態にあつたのである。右入沢の原動機付自転車の速度は少くとも時速四十粁であるから、本件接触時点の三秒ないし四秒前には接触地点の手前三十三米ないし四十四米の地点を進行していたこととなる。従つてその地点において前記の状態にある被告人の貨物自動車を発見した運転者としては、同車が直進車たる自車に優先進行せることは期待し得るとなす検察官の前記所論は本件の場合には適切とはいえないのである。
およそ自動車運転者たるものは、自車進路前方道路上において後退を開始している車輛が既に道路中央部分に進出して、その車体の大半が自車の進路上にあるのを発見したときは、たとえ同車の右側を通過し得る余地があつた場合においても、先づ右後退車の運行を安定させるために、一応自車の進行に応じて一時停止するか、然らずとするも、警笛を鳴らして後退車の注意を喚起しその反応を待ち、安全を保ち得る速度と方法をもつて自車を進行さすべきであつて、このことは自動車運転者たるものの当然遵守すべき道路交通法上の義務(安全運転義務)である。従つて被告人の如く自車の後方および左右の安全確認を尽した上後退を開始し、数秒を経過し既に道路中央に大半進出し、後退途中にある者は、仮にその時点において、時速約四十粁で後方三十米以上の距離において進行近接し来る車輛を発見したとしても、この車輛に優先進行させるために自車の後退を中止しなければならない義務はないものといわなければならない。かかる場合、自車を後退中の運転者は、自車後方より近接し来る車輛は一時停止するなり又は適正安全な進路を保ち自車の後方を迂回するなりして、当然前記安全運転義務を守り危険を未然に防ぐ措置に出るであろうことを期待し、これに信頼して自車を運行することが許されなければならない。殊に自動車の後退操作は通常の前進操作に比して遥かに困難であり、安全運転確保に不利な状態にあるのであるから、後方左右を注視しつつ時速四粁ないし五粁をもつて後退進行する通常とるべき注意をなす以上は、前進し来る他の車の前記安全運転義務の遵守に信頼しなければ、到底道路上での後退運転はなし得ないといわなければならない。然らざれば現下の道路の状況と自動車等車輛の交通状況下においては自動車の安全かつ適正な運行は求め得られないのである。
なお、被告人は入沢の原動機付自転車が自車の後方に進行近接することに全く気付かず、自車に接触されてこれに気付いたのであるが、前記の如く被告人が後退停止の直前、即ち停止の一米ないし二米以前の時点は、接触時点の三秒ないし四秒前であり、この時点においては入沢の原動機付自転車は時速四十粁とするも三十三米ないし四十四米後方にあり、被告人としては自車を後退させてその目的を達して停止する直前であるから、その停止位置附近に特に注意を傾ける必要があり、この場合の自車後部附近の注視義務を犠牲にしてまでも、はるか三、四十米を距たてた後方道路の状況まで万全の注視を払う義務はなく、そのような広範囲の注視は不可能といわなければならない。仮りに被告人がその様な距離にある入沢の原動機付自転車の進行近接し来たるのを発見したとしても、被告人において、これに対応する特段の運転操作をなす義務のないことは前示のとおりである。
以上の如く本件接触事故は、被害者入沢の自動車運転者(原動機付自転車を含む)として当然遵守すべき安全運転義務の違背と同人の目測誤認に基く無謀操縦に基因するものと認める。